2005年08月03日
最終準備態勢・・・
人生のジェットコースターが下りきった、皮肉なもので、プライベートはズタズタなこの頃、仕事は順調そのもので、営業職としては名誉な全国での表彰などと好調そのもの、更に昇進なんて話が出てきて、このままでは佐川急便やめれないな~と、焦りながら、最終目標のダイビングサービス設立準備を始めた。
まずはそれまでの、5人乗りの乗用車を8人乗りワゴンに買い替え、ダイビングボートを探す、イントラ資格の整備で、更に資格を増やした。HP開設に向け準備をはじめた(これが中々すすまないパソコンOWの僕にとってこれが1番の難関かも・・・)
店の場所が決定し、オープン用の器材の購入を始めた、10Lスチールタンク20本、レンタル器材・・・etc
休みの日を利用しての、ダイビングショップ廻り・・・佐川急便のおかげで、飛び込み営業はなれたものだった。しかも自分の好きなダイビング、ワキャ島(方言:私の育った島)の海の事だから、ドンドン話せる。
問題点は、まだ施設が完成してないために、シャワー、トイレ、ロギングスペース、etcの詳しい話が出来ない事、逆に考えれば、様々な意見を取り入れられるチャンスでもあった、意見にはドンドン耳を傾け吸収する事を心がけた。
2003/3/20退社日が正式に決定した。
散々悩んだ挙句に、車で日本横断飛び込み営業する事にした。パンフレット製作の為に、何日間もパソコンフル稼動だった。(行った事ない所だらけで、営業とはいえ楽しみな一人旅がスタートした)
3/27 千葉を車で出発し、まずは名古屋に飛び込み営業に向かう事にした、名古屋初上陸

ダイビングショップ、しかも沖永良部から全国の営業なんてないから、インパクトあって反響あるだろうな・・・と意気揚々と乗り込んだが、しかし、世の中そんなに甘くない!
2005年07月25日
ギャップに戸惑いながら・・・
日本に帰国後の生活、時間に追われて、日々の生活でいっぱいいっぱい・・・夢を見失うんじゃないか?と心配するほど、生活が変わった。。。
ダイビングショップ設立の資金稼ぎとして入社した、佐川急便(入社当時は、千葉佐川急便(株))は、朝早くから夜遅くまで、1日平均3時間~5時間寝れればいいほうの毎日だった。
週末館山や、伊豆に通うFUNダイビングだけが、僕とダイビングを結びつけるものだった。
この激しい生活に慣れるのが先か?体が壊れるのが先か?と思いながら仕事をしていた。
高校の担任が言ってました。『人間どんな生活も3ヶ月我慢すれば慣れる!』その言葉を信じ、3ヶ月を乗り切ろうとしていた、年末の忙しさのピークを向かえ、月4回の休みも予定を入れるな!と言われる、忙しい忙しい12月が過ぎていった・・・
4トントラックを乗り回し昼飯もろくに食えずに走り回る生活にも慣れ、春が訪れ、本当に体が慣れてきた、5時間寝れれば楽勝!3時間でも平気な体が出来上がる(^^;)頃、2トンドライバーに昇格の話が来た(当時は入社後のペーペーが4トン車ドライバー、仕事が出来ると2トンドライバーに昇格という流れだった、もちろん給料も20万以上も開きがある)
そしてこの2トンドライバーに昇格は、給料のアップはもちろん、僕がダイビングショップを経営する上での1番大切な、営業力を身につける機会を与えてくれた。意外な産物?だった。
この頃には結構佐川急便の仕事が好きになっていた(笑)頑張れば頑張るほど評価される仕事!やりがいがある!
もちろん、この忙しさの中でも、週末の休みを利用して、OW講習やFUNダイビングツアーなどは行なっていた。今思えばパワフルだった。気がつけば、佐川急便の自分の周りが講習生になっていた(笑)サイパンツアーや、慶良間ツアー、神子元ツアーなども行なっていた。
日々の忙しさから中々海にはいけないが、たまの休みを楽しみにダイビングに行く気持ちがわかるようになった事、これも今思えば大切な財産。
いつでも海に行ける現地サービスを経営していると、ついつい海に行く楽しみな気持ちを忘れがちになる。だからそんな状況に追い込まれる事により気持ちを理解できるようになったのは、この先も決して忘れないようにしなければいけない大切な気持ちだ。
入社後5年がたつころ、ひとつのポストを与えられてしまった。(勝ち取った)。営業主任となった、今までと同じように集配業務をしながら自分の部下を持ち、責任も増えてくる。でもこれも今思えば、営業の基本、人付き合いの基本、為になる、いい人生経験だ。
そしてこの頃、人生のジェットコースターは急激な登りから、まっさかさまに落ちていく・・・いや~困った困った。。。





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