2005年07月25日

ギャップに戸惑いながら・・・



日本に帰国後の生活、時間に追われて、日々の生活でいっぱいいっぱい・・・夢を見失うんじゃないか?と心配するほど、生活が変わった。。。

 ダイビングショップ設立の資金稼ぎとして入社した、佐川急便(入社当時は、千葉佐川急便(株))は、朝早くから夜遅くまで、1日平均3時間~5時間寝れればいいほうの毎日だった。

 週末館山や、伊豆に通うFUNダイビングだけが、僕とダイビングを結びつけるものだった。

この激しい生活に慣れるのが先か?体が壊れるのが先か?と思いながら仕事をしていた。

高校の担任が言ってました。『人間どんな生活も3ヶ月我慢すれば慣れる!』その言葉を信じ、3ヶ月を乗り切ろうとしていた、年末の忙しさのピークを向かえ、月4回の休みも予定を入れるな!と言われる、忙しい忙しい12月が過ぎていった・・・

 4トントラックを乗り回し昼飯もろくに食えずに走り回る生活にも慣れ、春が訪れ、本当に体が慣れてきた、5時間寝れれば楽勝!3時間でも平気な体が出来上がる(^^;)頃、2トンドライバーに昇格の話が来た(当時は入社後のペーペーが4トン車ドライバー、仕事が出来ると2トンドライバーに昇格という流れだった、もちろん給料も20万以上も開きがある)
 
 そしてこの2トンドライバーに昇格は、給料のアップはもちろん、僕がダイビングショップを経営する上での1番大切な、営業力を身につける機会を与えてくれた。意外な産物?だった。

この頃には結構佐川急便の仕事が好きになっていた(笑)頑張れば頑張るほど評価される仕事!やりがいがある!

 もちろん、この忙しさの中でも、週末の休みを利用して、OW講習やFUNダイビングツアーなどは行なっていた。今思えばパワフルだった。気がつけば、佐川急便の自分の周りが講習生になっていた(笑)サイパンツアーや、慶良間ツアー、神子元ツアーなども行なっていた。

 日々の忙しさから中々海にはいけないが、たまの休みを楽しみにダイビングに行く気持ちがわかるようになった事、これも今思えば大切な財産。
 いつでも海に行ける現地サービスを経営していると、ついつい海に行く楽しみな気持ちを忘れがちになる。だからそんな状況に追い込まれる事により気持ちを理解できるようになったのは、この先も決して忘れないようにしなければいけない大切な気持ちだ。


 入社後5年がたつころ、ひとつのポストを与えられてしまった。(勝ち取った)。営業主任となった、今までと同じように集配業務をしながら自分の部下を持ち、責任も増えてくる。でもこれも今思えば、営業の基本、人付き合いの基本、為になる、いい人生経験だ。

 そしてこの頃、人生のジェットコースターは急激な登りから、まっさかさまに落ちていく・・・いや~困った困った。。。  

2005年07月23日

GROTTOに後ろ髪を・・・



日本でのチャンバー治療を終え、サイパンに帰国し、これからガンガン潜るぞ~と意気込んでいたものの・・・その後、サイパンの海でガイドしたのはわずか3ヶ月足らずだった。

その間、ある問題から全く笑えない日々が続き、STAFFから心配される日々が・・・決断をし、GROTTOに後ろ髪を引かれる思いで、サイパンの3年間にピリオドを打つ事にした。
 
日本に帰って、最終目標である、地元沖永良部でのダイビングショップサービスに向けて、次は資金稼ぎだ!と佐川急便の面接にあわせて帰国した。。(もうどっちが本国かわからない帰国ですね)

 面接に行った、ほとんど即決だった、当時の佐川急便はまだまだ人手不足で難なく入れた、入ってからが地獄の日々なんですがね。。。(今思えば、よく7年間も続いたな~と。。。)
半年と立たないうちに、帰国の元となったプライベートな問題は片付いた。夢に向かって一直線だ!
今度こそ。。。


  

2005年07月06日

日本でのチャンバー治療(3)



運命の治療が終わった。。。

そして僕は、今日の治療前から決めていた言葉を先生に言った。真剣な眼差しでゆっくりと言葉を噛みしめながら

             『右足の膝が痛みます。。。』 

 明らかに嘘の報告だった。 もちろん悪い事だと。。。そしてこの嘘の報告は、ダイビングを続ける事ができるだけであって、僕の体自身の治療には、何の成果もない事。そして再度命に関わるかもしれない、という事も全て覚悟の上の嘘の報告だった。

 なぜそこまでして続ける意味があるのだろう?命を懸ける意味があるのだろうか?自問自答して歩く町並みは全く目に入らない。まるで別世界を歩いているかのように、ただひたすら歩く。

 そしていつしか僕は、自分に膝が痛んでいるかのような、痛みがある(体内の窒素が動き出している)ような感覚、錯覚におちいる、まだ自分がなおると勘違いをしている。。。

 日本での最終治療を終えた僕は、SAIPANに帰国した。海が待っている、またGROTTOに潜れる、ゲストと海の楽しさを共有できる、僕の生きる場所へと戻ってきた。

はずだった。。。